

という気持ちの発端は、つまり「吃音によって障害されてしまう『生活』に対して悩んでいるから」ですよね。
もちろん流暢に喋れるにこしたことはないわけですが、主に社会生活において二次的な弊害が出ているからなのですよね。
吃音があっても、願った人生を手に入れられるなら、正直そこまで深くは悩まないと思います。
私は自分自身が「吃音を克服した!」なんて思っていないわけですが、現在の生活において、吃音のことで悩みこけることはほとんど無くなりました。
この記事では私の体験談も踏まえ、吃音による深い悩みのループを断ち切る方法について書いていきます。
目次
吃音・どもりによる「深い悩みのループを断ち切る」究極の方法とは?
まず吃音・どもりの「克服」について語る前に大切なことがあります。
それは、「克服の定義」は人によって違うということです。
このことは私たち吃音者はしっかりと知っておく必要があると思います。
【STEP❶】まずは吃音・どもりによる「深い悩みの根源」を知る
吃音による、あなたの悩みの根源は何でしょうか?
たとえば、

などと、どもる事実に深く悩んでいるのでしょうか?
たぶん、違いますよね?
本当に頭を悩ませ、気を病んでしまっているのは、
吃音・どもりによる二次的な弊害ですよね。
こういった悩み方を多くの吃音者はされているのではないでしょうか?
上記はまさに、約20年前の私の悩みであり、思考パターンです。
今、この文章を書きながら無意識に涙が潤んでしまいました。
きっと死ぬほっど辛かったことを身体で覚えてしまっているいのでしょうね。
二次的な弊害に話を戻しますが、今書いてきた「悩み」をよく見てみると、
だということがお分かり頂けると思います。
つまり、吃音自体が問題なのではなく、「人生において得られないこと」が問題だということです。
【STEP❷】自分が「人生において得たいこと」を知り、紙に書きだす
吃音が問題なのではなく、「人生において得られないこと」が問題だということ
というポイントを理解することがまずは、最初のステップです。
ここで言う「人生において得られないこと」はつまり「人生において得たいこと」ですよね。
次のステップは、その自分の「人生において得たいこと」を紙に書きだすことです。
頭の中だけで悩みや考えを整理しようとすると、結局は吃音の強い悩みに押しつぶされてしまう可能性が高いです。だからこそ、紙に書きだして思考を分離してしまいましょう。
【STEP❸】紙に書きだした「人生において得たいこと」は「本当に吃音があると得られないのか?」を徹底的に調べる
次に、書きだした「人生において得たいこと」について、「本当に吃音があると得られないのか?」について徹底的に考えることです。
今は、便利すぎる超情報社会です。ググって調べれば情報は何でもすぐ出てきます。
ただ、その情報をうまく自分の血や肉にするのが難しいだけのことです。
あなたがもし小学生や中学生などの学生さんであるとすれば、まだ人生経験も少なく「吃音・どもりがあるから絶対無理!」という考えが勝ってしまうと思います。
でも、心配しないで。
小学生や中学生は、そもそも世の中に対してとても悩む時期です。思春期というやつです。
「世の中のことをあまり知らない」
「他人のことをあまり知らない」
のだから、自分の考えが勝ってしまうのは仕方がないことなのです。
探求する心があれば、いつか「自分の考えが甘かったな。」ということに気付け納得できるからね。
つまり「吃音・どもりによる深い悩みのループを断ち切る方法」の結論は?
結論を言います。
つまり、吃音なんてね、
「得るもの得たらあまり気にならなくなる」
ということです。
経験上、断言できます。
こういったよくある人生のライフイベントのようなものは、
20年前の私には「絶対無理だと思っていたこと」であり、
20年後の私は、「すべて成し遂げてきた」ことでした。
そして、吃音の症状はというと、軽くなるどころか少しひどくなっています(笑)
別に吃音の事を全く気にならなくなったわけではありませんよ。
やっぱりどもりまくった時は恥ずかしいですし、痛い目を見る時もあります。
でも、「まぁ、仕方ないか。」程度で終わるのです。寝たら終わりです。翌日に悩みを持ち越すことはありません。
よく「人間は、豊かに生きられるほどのお金を得たら、悩みの80パーセントは消える」などと言われたりします。
吃音の問題もこれと似ています。
自分が人生において得たいものを得たら、ずっと自分のあたまの中心にいた吃音の悩みが相対的にどんどん薄れていきます。
「相対的な価値」の考え方と、「小さな失敗&成功体験と検証」の積み重ねが本当に重要だったと思います。
「軽度の吃音だから出来たんでしょ?」と誤解しないためには?
私は決して、自分のことを重度の吃音者だとは思っていません。
しかし、軽度の吃音者だったとも思っていません。
私がどの程度の吃音者であったかは、以下の参考記事で私の体験談を参考にしてくださいね。
「百聞は一見に如かず」の体験をたくさんすべし
私は介護士という仕事柄、身体に重い障害があっても
「定職に就き長年頑張っている人」
「起業して成功している人」
「素敵な奥さんに恵まれている人」
「幸せな家庭を築いている人」
に出会う機会に恵まれました。
その経験のおかげで自分の中でのパラダイム転換が起きやすくなっていたとも言えます。
パラダイム転換とは、「自分の中の常識がひっくり返る」ということです。
という経験って本当に大切です。現在、いいおっさんの年齢になっても、他人との常識の違いにビックリさせられる事ってたくさんあります。
その経験の中で「自分にも出来るかも。」と感じることが大切です。
努力の方向性を間違えないこと!
人とのコミュニ―ケーションにおいて大切なのは、
「正論を言うこと」ではありません。
たまにそう誤解されている方がおられます。
と、いつも頑なになっている人っていますよね。
別にこの人も間違いじゃないんです。
しかし、
と思われてしまいます。
吃音者もこの問題とよく似ています。
長年の吃音による痛い経験のせいで、
と意識しすぎているのです。つまり、意識が自分にしか向いていないのです。
別に相手の人はあなたに上手く喋ることを求めていません。
が一番大切なのです。
うまく喋ることにフォーカスしすぎではいけません。
とにかくたくさんの「人」に触れあうこと
自分の中の頑なな常識を覆すのには、
とにかくたくさんの「人」と触れあうこと
がいいと私は自分の体験を持って断言できます。
吃音にとても悩んでいる渦中の人は、特に自分の中に「〇〇すべき」といったルールを強く持っている可能性があります。
「〇〇すべき」といった考え方は、自己規律とも呼べます。
自己規律といったものは大切な一面ももちろんあります。
しかしそれは、自分も他人も苦しめるものでしかない場合もあるのです。
そういった自分が大切にしている「〇〇すべき」の頑なな思考は、往々にして他人には受け入れ難いものの場合が多いです。
そして、他人と触れ合う中で溶かされていきます。ちょうど、川上にあった角ばった石が川下に下ってくる頃には丸くなっているような感覚です。
「それでも私の吃音は特別なの。私には無理よ。ほらこれも言えない、あれも言えない・・・。」と思ってしまう人は?
現在は本当に素晴らしい時代です。
インターネットが普及しSNSですぐに他の吃音者とも繋がれます。
リアルな人との触れ合いが怖い方は、最初はツイッターやフェイスブックなどのSNSで始められると良いと思いますよ。
それだけでも、一人で悶々と悩んでいるよりははるかにいいです。
ネットやリアル問わず、同じ吃音に苦しむ人との出会いのパワーはすごいものがありますよ。
これは、非吃音者には味わえない感動です(^_-)-☆
私も初めて吃音に関するサークルに恐る恐る足を踏み入れた時の感動は今でもよく覚えています。
体中の全てのコリが一気になくなるような感覚でした。
最初はSNSからで充分良いと思うので、段々と慣らしていきましょうね。
まとめ
吃音に悩む人は、「言いたい事をスラスラ喋れない」という基本的な悩みがあるのはもちろんです。
しかし、その基本的な悩みよりも
といった不安がなおいっそう吃音者を苦しめているのではないでしょうか?
まずは悩みを具体化し、細分化することです。
自分の得たいことをしっかり理解することです。
そして、その得たいものは「どうすれば得られるのか?」を真剣に考え抜くことてす。
という理屈は、
という理屈と同じです。
全く関係ないなどとは言いません。私も当事者なので痛いほどこの理屈はわかります。ただ、人生をあきらめる絶対条件ではないということです。
コップの水理論と同じです。
「半分も水が入っている」と見るか、「もう水が半分しかない」と見るか?というアレです。
私は「人生において最低限得たいと思うこと」の大体のものを得てきました。
結果論ですが、得てきて思うことは、
「吃音てあまり関係なかったな。」
ということです。
と毎日泣いていた20年前の自分に本当に言ってあげたいです。
大切なのは「まずは、自分の悩みや欲求に真剣に向き合い考え抜くことだよ。」って。
それが自分を大切にすることだから。